第8回:何もしなくなってしまった86歳女性

 約1年前までは、活発に老人会の催し物に参加したり、旅行にも出かけており、年齢よりも若く見られることを自慢にしていた倉橋さん(仮名)の話をします。

痴呆になったのでは

 倉橋さんは、86歳の女性です。認知症になってしまったのではないかと家族が心配をして、一緒に住んでいる娘さんと来院しました。

 倉橋さんは、車椅子に乗ってきました。一見したところあまり表情がなく、顔が少しむくんでいるように見えました。自分からはほとんどしゃべらず、一緒にいらした娘さんが話をしていました。

 娘さんによると、倉橋さんは6年前からコレステロールが高く、近医で治療を受けていたそうです。そして、1年前から何となく元気が無くなった様にみえ、それまでしていた掃除や料理もあまりしなくなったということでした。そして、お茶をたてることが趣味であったのですが、それもしなくなり、老人会にも参加しなくなってしまいました。

 以前と違って反応が遅く、言っていることもはっきりとしなくなり、3ヶ月前より、むくみがでて、動作も遅くなり、歳をとり痴呆になったのではと思っていたそうです。いつも通院している先生からも痴呆を疑われ、私の所に受診してきました。

診察をしてみると

 診察をしますと、確かに元気がなく、質問をしても答えるまでに時間がかかり、反応が遅いという印象でした。四肢と顔にむくみがあり、脈拍をみると1分間に50程度で、遅くなっていました。簡単な認知機能のテストをしてみると、年と曜日がわからず、100-7はできましたが、その先の93-7はできませんでした。計算の前に3つの言葉を覚えてもらい、計算の後にまた思い出してもらいましたが、1つも出てきませんでした。

 認知症としてはそれほど重症ではなく、意欲がない、動作や反応が遅いといったことが目立ち、アルツハイマー型認知症とは違っている印象でした。そして、脈が遅くむくみがあり、以前よりコレステロールが高いということがあったので、別の病気を疑いました。

 そこで、甲状腺ホルモンを測定してみますとTSH(甲状腺を刺激するホルモン)が高く、F-T3とF-T4(両者とも甲状腺ホルモン)は低下しているという結果が得られました。この結果から甲状腺機能低下症と診断をしました。

 甲状腺ホルモンの投与を開始したところ、徐々にむくみがとれ、動作や反応も元に戻り、料理や趣味のお茶もするようになり、倉橋さんは以前の正常なときの状態に戻りました。

甲状腺機能低下症とは

 甲状腺機能低下症は、甲状腺ホルモンの低下(神経伝達の維持にも関与)によっておきます。加齢により甲状腺ホルモンは低下しますが、それよりももっと低下すると、注意集中の低下、思考過程の遅延、計算力低下、理解力低下、記憶力低下、周囲への関心の低下等が生じて痴呆様となります。この他に、動作が遅い、むくみ、声がかれる、脈が遅いなどの症状もみられます。甲状腺ホルモンを補充することで症状はよくなります。

良くなる認知症

 認知症をおこす病気はたくさんありますが、その中にはその病気の治療法が決まっていて、治療により出現していた痴呆が良くなるものがあります(図)。これを良くなる認知症といいます。しかし、治療の開始が遅れると完全には良くならなかったり、改善しなくなることもありますから、早く見つけてあげることが大切です。

図の説明


 縦軸は、自分の周囲におこったことを把握して判断するために必要な認知機能を表しています。紫色の線より上が正常で、下が認知症とします。赤い線で示されるものは、治療をしても良くならないので良くならない認知症とすると、緑の線で示したものは、治療により完全に回復していますから、良くなる認知症となります。しかし、黄色の線で示したものは良くなる認知症であっても治療の開始が遅れているので改善が不十分です。したがって、早く見つけてあげることが必要となります。
 ;倉橋さんにあった甲状腺機能低下症による認知症もその一つです。認知症というとアルツハイマー型認知症や脳梗塞や脳出血の後になる脳血管性認知症というものが多いわけですが、良くなる認知症はどのくらいあるのかといいますと、調べた場所、すなわち病院や施設、ある町の一般の住民を対象にしたものかによって結果が違っています。いくつかの報告をみてみると認知症の2〜33%ということになります。一般には、10%以下だろうといわれています。

次回はこの良くなる認知症の続きを話します。
*当診察室にご来院の患者さんの姓名は全て仮名です。

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