第21回:突然言葉が出なくなった70歳女性

70歳女性の飯田さん(仮名)は、7年前から家の近くの診療所に高血圧症で通院をしていました。診療所の看護士さんや受付の人とも顔なじみで、冗談も言い合っていました。ある朝、診察日でもないのに、飯田さんが診療所にやってきました。いつもと様子が違っており、何もしゃべらず、受付の人がどうしたのですかと尋ねても、何も答えず、ただうなずくのみでした。診療所の先生が診察をしましたが、血圧はいつもと変わりなく、四肢の麻痺もなく、何が起きたのかわからないということで、看護士さんと一緒に私の外来に来ました。

診察をしてみると

どうしたのですかと尋ねても何も言わず、名前を聞いても答えられませんでした。鉛筆を見せて、これはなんですかと聞いても言葉は出ませんでした。口を開けて下さいや、目を閉じて下さいなどの簡単な命令には、わかるときもあるようで、できることがありました。「リンゴ」、「はさみ」などの言葉の復唱はできませんでした。名前や、簡単な言葉を書くこともできませんでした。文を読むこともできませんでした。

いつものように一通りの神経学的診察をしましたが、言葉の症状以外には異常がなく、四肢の麻痺もありませんでした。

一緒に来てくれた看護士さんから、診療所での朝の様子を聞き、飯田さんは、娘さんと一緒に暮らしていることがわかりました。家に電話をしてみましたが、娘さんは既に仕事に出かけたようで、家には誰もいないようでした。

診察の結果から疑われたのは

飯田さんは、言葉がしゃべれず、言葉の理解は簡単なことはできるときもありましたがほとんどできず、字を書いたり、読むことができません。このことから、失語症があると考えました。この失語症は突然に始まっているようなので、脳梗塞や脳出血などの脳血管障害によって起きたのではないかと疑いました。

そこで、すぐにCTスキャンを行ってみました。

CTをしてみると

脳出血や脳梗塞は認められませんでした(図1)。脳出血は、出血が起きたらすぐにCTでわかりますが、脳梗塞は、生じてから間もないときはCTではわからないことがあります。したがって、飯田さんには脳出血はないけれども脳梗塞が疑われると考えました。

その後、同居している娘さんと連絡がとれ、その日の朝娘さんが自宅を出るときには、何の異常もなかったことがわかりました。飯田さんは、右利きであることもわかりました。

入院後の経過

入院していただき、脳梗塞の治療をしました。1週間ぐらいした頃から、少しずつ言葉が出るようになり、言葉の理解も少しずつ回復してきました。

入院後のMRIでは、左側の前頭葉に脳梗塞が認められ、脳血流SPECTでは、左側の前頭葉、側頭葉、頭頂葉に血流低下が認められました(図1)。

  

     

図1.初診時CT

図2.入院17日後のMRI2 強調画像

  

右外側左外側

  


  

右外側左外側

  

図3.IMP-SPECT Zスコアマップ(脳血流低下を表す)

失語症について

飯田さんの症状は失語症で、原因は脳梗塞でした。右利きの人は、左側の脳梗塞や脳出血で失語症になります。右側の上下肢の麻痺も伴っていることが多いのですが、飯田さんのように失語症だけのこともあります。

失語症の種類やその病巣部位についてはいろいろな議論がありますが、失語症には、主に言葉を話すことが障害されているもの(運動失語)と言葉を理解することが障害されているもの(感覚失語)があります。飯田さんの場合はその両方が障害(全失語)されていました。

 

 

図4.左側から見た脳
緑色はブローカ領域、青色はウウェルニッケ領域、青色は運動野

運動失語は、前頭葉にあるブローカ領域が障害されたときになり、感覚失語は側頭葉にあるウエルニッケ領域が障害されたときになるとされています。これらの領域は、優位半球すなわち、右利きの人では左側の脳にあります(図2)。
飯田さんの場合、SPECTでみるとブローカ領域とウエルニッケ領域の血流低下がありますから、この部位の機能が低下していたことがわかります。運動失語と感覚失語に関係する両方の機能が障害されていたので、全失語になっていたことがわかると思います。

麻痺はなぜなかったのでしょうか

麻痺がなかったことは、脳梗塞の部位が運動機能障害を生じるところでなかったことによります。運動機能の中枢は、前頭葉にある運動野にあります(図2)。SPECTでもこの領域の血流低下は認められていません(図1)

MRIでわかる脳梗塞よりもSPECTでの血流低下はなぜ広い範囲なのでしょうか

MRIやCTでわかる脳梗塞よりも広い範囲で血流が低下していることは、よくみられることです。この理由にはいろいろありますが、一つは、脳の各部位はいろいろな他の脳の部位と連絡があることで説明できます。。脳梗塞を起こしたところと連絡している部位では、この連絡を介して離れた部位の機能が低下し、血流が低下していると考えられます。

飯田さんのその後

飯田さんは、言葉のリハビリテーションを行い、3ヶ月後には以前と同じレベルまで言語機能は回復をしました。

今回の話は少し難しかったでしょうか。大切なことは、突然言葉がでなくなったり、言葉の理解ができなくなったときは、家で様子を見ているよりも、麻痺がなくても脳梗塞や脳出血を疑って、すぐに受診をした方がよいということです。

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